01章で、研究は疑念から信念へ向かう循環だと述べました。けれど「仮説を置く」と一口に言っても、置き方は一つではありません。何を仮説とし、どこから入り、何を証拠とし、どこに信念を着地させるか。ここが決まっていないと、次章で問いを1文で書くことができません。
この章は三つの部分からなります。探究はどう進むか(問題の形、推論の段階、入口の戦略)、探究はどこへ向かうか(理解と設計、主張のコミットメント)、そして主張が耐える条件。どれも科学哲学や応用数学で標準的に議論されてきた区別で、章末に出典を挙げます。私たちがしているのは、それらを一つの探究サイクルの上に並べ直すことです。
原因 x と法則 f がわかっていて結果 y を求めるのが順問題です。青と黄を混ぜると何色か、には手順どおりに答えが出ます。結果 y から原因 x を推定するのが逆問題です。緑は何色からできているか、には答えの保証がありません。同じ緑を作る組み合わせは複数あり(非一意性)、わずかな観測誤差が推定を大きく変える(不安定性)ことがあります。
大学と社会では逆問題が増えます。地下の温度分布から流路の構造を推定する、人々の発言から価値観の分布を推定する、進路の反応から自分の適性を推定する。どれも逆問題です。逆問題は手順では解けず、探究で解きます。仮説 θ を置き、順問題として y を予測し、観測と比べて θ を更新する。01章のサイクルは、逆問題を解くための循環です。
順問題の解き方を学ぶことと、逆問題を立てることは別の能力です。前者は教科書にあります。後者は、この章の残りで扱います。
仮説をどう置き、どう確かめるかについて、Peirce は三つの推論を区別し、晩年にはそれらを科学研究の三つの段階として整理しました。
アブダクション(仮説形成):驚くべき観測に対して「もし θ なら、この観測は当然だ」と説明を思いつく推論。Peirce の定式化はこうです——驚くべき事実 C が観測された。もし A が真なら C は当然である。ゆえに A が真ではないかと疑う理由がある。三つの推論のうち、最も実り多く、最も不確かな推論です。新しい内容を生み出すのはアブダクションだけです。
演繹(帰結の導出):置いた仮説から、必然的に何が観測されるはずかをたどる推論。地熱開発なら、地下構造のモデル θ を置いて数値計算を回し、予想 ymodel を出す段階がこれにあたります。演繹は確実ですが、新しい内容は生みません。
帰納(検証と一般化):予測と観測を比べ、仮説を採るか捨てるか、どこまで一般化できるかを判断する推論。予想 ymodel と観測 yobs の差を見て、モデルの妥当性を評価する段階です。
01章の Inquiry Cycle に重ねると、ズレ・違和感 → Question → Hypothesis がアブダクション、Hypothesis → 予測が演繹、Test → Belief が帰納です。どの探究もこの三段階を通ります。「演繹的な研究」「帰納的な研究」という言い方をすることがありますが、Peirce の意味では、どちらか一方だけの探究は存在しません。
三段階はすべての探究が通りますが、どこから入るかは研究によって違います。ここが、いわゆる「演繹的」「帰納的」という言葉で普段呼ばれている区別です。
仮説先行(モデル駆動):一般化した法則 y = f(x) を先に提案し、具体的な x を入れて y が出れば法則の妥当性を示す。問いは「この法則はどこまで成り立つか」。証拠は予測と観測の一致。弱点は、f の仮定が間違っていれば x をいくら入れても意味がないこと。科学哲学では仮説演繹法と呼ばれ、Popper が科学の方法として擁護した形です。
データ先行(データ駆動):具体的な x, y のデータ群から、一般的な y = f(x) を見つけ出す。問いは「このデータからどんな法則が読めるか」。証拠はデータの偏りのなさと、見つけた f の再現性。弱点は、x, y の取り方に偏りがあると汎用的な f を導けないこと。だから偏りなくデータを取ることが望ましい。統計学者の Box は、統計学が検定に偏り、「妥当な仮説はどこから来るか」という発見の問題を軽視してきたと批判しましたが、データ先行はまさにその発見の側にいます。
どちらが正しいということはありません。ただし、入口が変わると、問い・証拠・主張の形がすべて変わります。統計的な研究(データ先行)をした人が、法則提案(仮説先行)に移ると、スタンスが逆になります。問いは「どんな規則があるか」から「この法則はどこまで成り立つか」へ、証拠は「データの偏りのなさ」から「予測と観測の一致」へ、主張は「データは……を示す」から「法則は……の範囲で成り立つ」へ。切り替えたことを自覚しないまま書くと、データ先行の証拠で仮説先行の主張をすることになり、論理が閉じません。この続きは04章で扱います。
探究には種類があります。結果から原因へ向かう探究と、目的から手段へ向かう探究です。
Simon は『The Sciences of the Artificial』で、自然科学は「物事がどうあるか」を扱い、デザイン(人工物の科学)は「物事がどうあるべきか」を扱うと区別しました。前者の信念は「自然の理解」に着地し、後者の信念は「設計・計画」に着地します。
鈴木らは、地熱開発を例に、この二つが同じ探究の形式で記述できることを示しました(鈴木・山口・柳澤 2025)。観測 yobs から地下の状態 θ を推定して自然状態を理解する探究を受動的探究、目標 ygoal を立ててそれを達成する開発条件 θ を選定する探究を能動的探究と呼びます。どちらも Peirce の三段階を通り、どちらもベイズ更新として書けます。違うのは、仮説が「結果に対する原因」か「目的に対する手段」か、という向きだけです。
認知科学の側から見ると、この二つは同じ原理の二つの面です。自由エネルギー原理(Friston 2006)では、脳は世界の生成モデルを持ち、予測と観測のズレ(自由エネルギー)を最小化します。知覚は信念を更新してズレを減らす(受動的探究に対応)。行動は、これから取りうる方策のうち期待自由エネルギーを最小にするものを選ぶ(能動的探究に対応)。理解と設計は別の営みではなく、同じ原理の知覚側と行動側です。
ここで大事なのは、能動的探究は受動的探究の上に乗るということです。地下の流れを理解してから(受動)、それを使って開発を設計する(能動)。理学的な問いは受動的探究で信念に着地します。工学的な問いは受動的探究の信念を前提として能動的探究を重ねます。工学が理解を飛ばすのではなく、理解の上に設計が乗るのです。そして受動的探究の信念には、後述する「わからなさ」が必ず残ります。それを含んだまま能動的探究に渡すのが、設計というものです。
一つ、境界を引いておきます。Dorst(2011)は、デザインにおけるアブダクションを二種類に分けました。価値も方法も既知で「何を作るか」だけを探す推論と、価値だけが既知で方法も何をも探す推論です。前川(2020)は前者を解決のサイクル、後者を探索のサイクルと呼びました。この章で扱う能動的探究は解決のサイクルです。目標 ygoal と前提が与えられた中で、最適な手段を探す。目標そのものや前提そのもの——問題を捉えるフレーム——を疑い、作り直す探索のサイクルは、この章の外にあります。それは研究室の研究テーマそのものなので、07章で改めて扱います。
探究がどこに着地するかを、もう一段細かく見ます。研究の主張は、何にコミットするかで四つに分かれます。
これは強さの階段ではありません。予測は説明なしにできます(多くの機械学習がそうです)。説明があっても予測精度は保証されません。Pearl の因果の階梯でも、「見えるものから何が言えるか」(関連)と「動かしたら何が起きるか」(介入)は別の層で、予測は関連の層に属します。
だから、レベルが上がるほど証拠が「重くなる」のではなく、要求される証拠の種類が変わる。説明には機構の証拠、予測には外挿の証拠、制御には介入の証拠。自分の手元にある証拠がどの種類かを見て、コミットする範囲を決める。相関しか示せていないなら「記述」で書く。それは弱い論文ではなく、正直な論文です。コミットが大きいほど間違いうる仕方が増える——これは次の反証可能性とつながっています。
次章の問いの型はここに対応します。機構型は説明に、不確実型・動態型は予測に、設計型は制御にコミットする問いです。推定型と妥当性型は、どのレベルにも現れます。
ここまでで、探究がどう進み、どこへ向かうかを見ました。最後に、着地した主張が他者の批判に耐えるために満たすべき条件を四つ挙げます。どれも「主張を弱くする」ためではなく、「主張を守れる範囲に置く」ための条件です。
テストできる主張とは、壊れうる主張です。Popper は、科学的な主張の条件を「その主張が間違いだと示す観測が、少なくとも一つ考えられること」と定めました。主張は何かを禁じていなければならない。禁じるものがない主張は、どんな観測とも両立してしまい、何も言っていないのと同じです。
地熱で例を挙げます。「深度2kmの地下は、熱いか冷たいかのどちらかだ」は反証不能です。どんな温度が出てもこの主張は生き延びるので、何も禁じていません。「深度2kmで300℃以上ある」は反証可能です。250℃という観測が出れば壊れる。壊れうるからこそ、300℃が観測されたときに意味があります。
もう一つ。「地域住民が納得しないのは、情報が不足しているからだ」という主張を考えます。この主張は、住民が納得しなかったすべてのケースを「情報不足だった」と後から説明できてしまいます。何が出れば間違いになるかを言えない限り、これは反証不能です。「同じ情報を与えても、フレームが異なる住民は納得しない」と書き換えれば、同じ情報で納得した住民が出れば壊れる。主張として立ちます。
01章の Test(検証)が意味を持つのは、主張が壊れうる場合だけです。「証明しに行く」ことは検証ではありません。「壊れる場所を見に行く」ことが検証です。主張を立てるとき、自分に一つ問うてください——どんな観測が出たら、私はこの主張を捨てるか。答えられなければ、主張はまだ形になっていません。答えられるなら、その観測を取りに行くのが次の一手です。
壊れない仮説は、たいてい浅い仮説です。何も禁じていないから壊れないのであって、正しいから壊れないのではありません。
すべてのモデルは仮定を置いています。Box の言葉を借りれば、すべてのモデルは間違っており、いくつかは役に立つ。仮定は「間違っているか」ではなく「どの条件で破綻するか」で評価します。妥当性を主張するときは、何と比較して、どの範囲で、と言う必要があります。適用範囲を書かない妥当性の主張は、反証可能性を欠いた主張と同じです。
データや計算を増やせば縮められる不確実性と、原理的に縮められない不確実性は別物です。工学では前者を認識論的不確実性(epistemic)、後者を偶然的不確実性(aleatory)と呼びます(Der Kiureghian & Ditlevsen 2009)。この研究室では前者をズレ、後者をわからなさと呼びます。
ズレは最小化の対象です。観測を増やし、モデルを改善して縮めます。わからなさは引き受ける対象です。縮まらないと認め、その幅を持ったまま次の探究(能動的探究、社会との対話)に渡します。二つを混同すると、「もっとデータを取れば解決する」と言い続けて終わらない研究になるか、逆に「どうせわからない」と言って縮められるズレを放置する研究になります。自分の不確実性がどちらか、あるいはどの部分がどちらかを言えることが、設計に渡せる理解の条件です。
一緒に動くことと、一方が他方を引き起こすことは違います。機構型の問い(説明にコミットする問い)に答えるには、代替説明——交絡、逆因果、偶然——を潰す設計が要ります。それができないなら、主張を「記述」に下げて正直に書く。相関で止まった論文は、相関を因果のように書いた論文より強い論文です。
自分の研究を1文で書き、次の五つに答えてください。
五つ言えれば、次章の問いの設計に進めます。言えなければ、まだこの章に留まってください。研究を始めた頃に言えなくて構いません。Paper Card を書き直すたびに戻ってくる章です。